へヴィメタと研究

趣味という名の活動がもたらす快楽

話は唐突に変わるのだが、人間は常に二面性を持っていると筆者は考えている、それは老若男女関係なく誰に対しても等しく持っているものだと分析している。どういうことかというのは、いわなくてももしかしたら普段から自分を使い分けている、という人なら心当たりはあるだろう。人間、生きていれば社会という枠の中で生活をして、その活動において様々な人間と接することになる。そこに他者に対しての好意があるのかという云々を問う以前に、何をするにしても人間との関わり無くして生きていくことは出来ない。煩わしいと感じている人は多いはずだ、それもそのはず、どうしても自分と価値観を含めた思考が反りあわないという例はそこかしこにあるからだ。出来るなら関わりたくはないだろう、だけどそれが出来ないのが社会というものだからこそ、行き詰ってしまう。

ある程度の我慢を強いられることになるのを覚悟しながら生きる、これは人間として最低限求められる部分でもある。ただそれがあまりにも限度を超えて害悪をもたらすように、人から圧力を加えられるような生活を送っている人もいると思う。いわゆるパワハラ・セクハラ、あとはいじめといったところか。人間関係を築いていると、どこかで歪みが生じる。軋轢が生まれることでどうしようもない状況に追い込まれる人は多いはずだ。その絶え間ない精神的苦痛を受け続ける事は、いわゆる自分を押し殺してまで耐えている人もいる。その先に何が生まれるのかは、敢えてここで明言する必要もないだろう。

生きているとあらゆる面でしがらみを受ける生活を強いられなければならない、そしてそれに耐えることも人間修行の一貫として求められることでもある。最近ではこの修行過程へと軌道をずらしても、耐えられない人が多い事が社会問題に発展しているが、何も彼らだけの問題ではない。日常を何不自由なく過ごしている人でも、必ず何かしらストレスというものを抱えているものだ。溜まったものを吐き出すことも人間には大事だ、だからこそ休憩や息抜きというものが必要になってくる。それさえも出来ないほどに苦しめられている人もいるが、追求し続けていると話の脱線が止まらなくなってしまうため、ここで打ち切っておく。

ヘヴィメタルの音楽は非常に暴力性を富んでいる、それは人として本来持っておく事は許されないとも考えられる。キリスト教における教えで考えるなら、七つの大罪が1つ『憤怒』がそれに近いと筆者は考える、怒りによって人の内なる攻撃的な部分が剥き出しになり、それによって過ちを犯すことになってしまうといえるだろう。しかし怒りといっても、普段から溜まりに溜まっている我慢を吐き出すような憤怒をヘヴィメタルのような音楽に乗せて発散している人もいるのではないだろうか。娯楽という文化に合わせるように自身の中に積もりに積もっている欲望をはじき出すことで、また普段の生活を頑張ろうという人もいるはずだ。

実際にヘヴィメタルのような過激な音楽を聴いて、普段のストレスを解消している人もいる。ここではそんなヘヴィメタルを聴いている人の中で、生きる糧としているといった研究をした内容について紹介しよう。

効果としては、認められているといえる

海外では様々なテーマで研究をしている人が多いので、実に興味深いと常に考えている。それは普段から接している音楽をどのように捉えているのか、というのを世間一般の尺度で自分との一致感を照らし合わせることも出来る。より近ければ自己投影をして共感することも出来るが、一方でより世間とは少しずれていると感じるなら疎外感を感じる、もしくはオンリーだからこそ良い、と思っている人もいるだろう。

そうした中、イギリスにあるウエストミンスター大学にて、とある心理学者が一部の学生にアンケートを取った、それはヘヴィメタルが好きな学生にまずは軽く10曲ほど聞いてもらった後に、自身の性格について書いてもらうといったものだ。すると、ある種の特徴が出てきており、意外にもヘヴィメタルを聴いているからといって苛烈な性格をしているわけではないということが分かったのだ。その一例となる自己分析による性格が、

  • 好奇心旺盛
  • 自尊心が低い
  • 人と違うことをしたい
  • 権力が嫌い

といったものだ。ヘヴィメタルを聞いている人は意外にも自分に対して不遜なまでの自信を持っている、そんなイメージを持っている人も多いだろうが、意外にも自分という個体に対してあまりその存在を認めているわけではないようだ。また自分というものがどれだけ抑圧された感情の中で曝されているのかというのも、何となくうかがい知れる事ができる。違う研究では、成績優秀な学生ほどヘヴィメタルなどを聞いて、普段のストレスと欲求不満を解消しているという人もおり、人間的な部分の均衡を保っているという結果がはじき出された例もある。

何かが出来ればそれで自分に対して自信を持っている、というわけではない。いかに自分が人間として未熟なのだと考えられるからこそ、このような思いに苛まれるのかもしれない。イギリスでも若者のニート問題は社会問題として取り上げられている、そうでなくても社会情勢としてはあまり褒められるほど経済が潤沢だとは言えないところがあるため、休まることはない。そうした中、自分への自尊心が低い人は、ヘヴィメタルのような自己肯定とその独特な楽調に浸ることで満たされるのだろう。いわば一種の逃げ場として求めている人が事実として数多くいる、また自分というものを追求して何処にもない自分だけという独自性を手に入れたいという願望があるからこそ、ヘヴィメタルが海外で広く認知されて浸透している要因だと思うことが出来る。