平成での動向

ボーカルも含めたメンバー間での変遷が著しかった

音楽バンドとして高い名声を築き上げている中で、LOUDNESSという1つのバンド内におけるメンバーは実に移り変わりの激しいものだった。初期のボーカルだった二井原の脱退を含め、その後のメンバーにおいても非常に長い変遷を繰り返しており、あまり良い歴史とは言えない一面だということを何となく知れてしまう。メンバー変遷の記録についても最初に紹介したが、実に激しく流動的となっている。いつぞやのアイドルグループが定期的に卒業と新メンバー募集を繰り返していたような風景を思い出しているが、LOUDNESSとしては音楽を追求して行くあまり、その中におけるメンバーカンの溝は絶え間なかったのだろう。

二井原の脱退後はアメリカ人ボーカリストとして『マイク・ヴェセーラ』氏を新ボーカルとして、さらに外人のプロデューサーを迎えてアメリカでのデビューしたときのようなアメリカン・ヘヴィメタルサウンドから、メロディアスの音楽へと傾倒することになるが、この音楽的な変改については技術としても音楽としても高い評価を受けているなどしていたが、その後の楽曲は新鮮味を欠くものばかりだった。というのもこの頃から楽曲が生み出されたから10年、またはまだ3年程度しか経っていないようなものをリメイクしてアルバム曲としてリリースするなどしていたというのだ。さらにマイク本人が肝心のライブではその歌唱能力を遺憾なく発揮する事が出来なかったこともあり、活動してから数年でLOUDNESSとしての活動にピリオドを打つことになった。ただ、ロックバンドとして考えると、CD音源も確かに良いと言えるところもあるかもしれないがやはりライブでの臨場感を求めているファンが多い事を考えたら、スタジオ収録での歌唱が完璧というのは、ファンをガッカリさせることになるのは間違いない。まだアイドルとして活動しているならまだしも、その実力が証明されているバンドで、ボーカルがそのような体たらくでは事実上の解雇とされても仕方のないことだろう。

史上最高とも言われながら、オリジナルメンバーの脱退と再集結までの流れ

マイク・ヴェセーラの脱退により、後任として山田雅樹氏が加入し、さらにベースに事務所とのトラブルが相次いで起こったことでオリジナルメンバーの山下氏が脱退することとなる。ただ山下氏の場合においてはトラブルのためバンド活動が出来なくなってしまったところが真相となっているが、それまでの二井原とマイクのような解雇とは違って穏便に事は済んでいた。その証拠として自らの後任となるベーシストを選出し、自分の所業でこのような事態になったことを詫びるような行動を起こしている点でも、このようなことになってしまった事を謝罪していたのかもしれない。事実、その後楽曲提供などを行なうなどしていたことから、関係そのものが破綻していたわけではないのが良い例だ。こういう風に事が済むと当事者としても被害を受けることになった側としても、色々と抱えるものが少なくていいところだ。

さて、そんな山下氏の後任として入ってきたのは当時すでにバンドとしてもかなりの人気を得ていたベーシストである『沢田泰司』氏が加入することになった。新たに新生したLOUDNESSだが、その船出は前途多難だった。まず沢田氏は事務所との契約が切れるまでの期間は一時的にサポートメンバーとして活動しなければならない等の問題、更にその後すでに知名度を延ばしていた沢田氏には女性ファンが多く付いており、基本的に男性ファンで構成されているLOUDNESSの固定ファンからは新メンバーなどと認められるわけがないと、きつい洗礼を受けることになった。これにはライブ会場で女性ファンが沢田氏に対して声援を送ることが相応しくないと考えて、ライブ中には沢田氏個人にブーイングを飛ばすなどの野次も飛び交っていたという。どちらかといえば僻みのようにも見えなくもないが、この際どうでもいいだろう。

しかしこれで黙っているほどの沢田氏ではなかった、女性ファンを味方につけてLOUDNESSのアルバムがオリコンで初登場2位という最高位を記録し、さらにライブを重ねていくうちにベーシストとしての確かな実力からそれまで嫌悪していたファンを虜にしていき、やがて男性ファンも味方につけるなど目覚しい成長を見せるのだった。そのことから一部では『歴代最高のLOUDNESSのメンバーだ』などとも言われるようになるなど、ボーカルの山田氏とベースの沢田氏の加入でバンドはまた新たな時流を身に纏うこととなった。実際にメンバー間でもまたこのバンドでプレイしたいと思っていたらしいが、その願いは後に樋口氏と沢田氏がこの世を去ったことで永遠に叶うことのない約束となってしまったことも、一部では有名な話である。

オリジナルメンバーの再結集

その後、山田氏がやはり事務所などとのトラブルで脱退に見舞われるが、樋口氏が何とか食い止めるが今度は樋口氏が脱退してしまうという事態になってしまう。沢田氏もまた事務所などの契約上の問題で在籍することができなくなるなど、波乱に満ちた状況へと陥る。その後山田氏は芸名を『MASAKI』に変更し、さらにドラムにはMASAKI氏の紹介により『本間大嗣氏』が加わり、沢田氏の後任であるベースには高崎氏と親交のあった『柴田直人』氏が加入し、新生LOUDNESSとして生まれ変わる。

この頃はバンドの楽曲もかなり異質なものへと変化するなどかなり特徴的な時代となっていたが、そんな中で高崎氏の周りではそれなりに騒がしく事が動いていた。それはかつて組んでいたレイジーの再結集と、樋口氏ともう一度バンドを組むなどの動きだった。これは元メンバーだった井上氏の呼びかけにより高崎氏と樋口氏、さらに影山氏と田中氏に声を掛けて実現することとなったからだ。こうした状況から原点回帰という名目で、もう一度LOUDNESSをオリジナルメンバーでやってみようという話へと切り替わっていく。ただこの時、MASAKI本人からももう一度オリジナルでやってみたらどうだろうかと提案されていたこともあり、その意見を組むこととなった。ボーカルを務めていたMASAKI氏も現状のLOUDNESSには何かが違うと疑問を感じていたようだが、これが正しい判断と認識されるまで時間を要する事はない。

その後オリジナルメンバーが再集結したことで、かつてのLOUDNESSを取り戻すように約8年間メンバー変遷もなく、継続した時期が一番長いときにもなった。このまま安定した楽曲を提供してくれるのだろうと、ファンは皆思っていたことだろう。しかしそうした思いは叶うことはなかった。

樋口氏の死と、更なる飛躍を誓う

2008年、初期の頃から活動してLOUDNESSを牽引していたオリジナルメンバーの一人、樋口宗孝氏が肝細胞癌のため帰らぬ人となってしまったのだ。LOUDNESSのメンバーではないが、レイジーの田中宏幸氏も同時期に他界してしまうなど不幸が続き、LOUDNESSがもう一度その歴史を刻もうとした矢先のことだった。その後のライブ活動の中で、ボーカルの二井原氏はこれからもボーカルとして活動して行く事を宣言し、さらに高崎氏もこれからもバンドとしてさらなる飛躍をして行く事を誓い、海外での活動にも精力的に行うなどすると宣言した。

様々なトラブルを抱えながら、オリジナルメンバーの樋口氏が死去するなどの出来事を迎えてしまうが、すれ違っていたメンバー間の心をより強固なものへと繋げることになた樋口氏の功績は大きかったことだろう。現在でも活動を継続しているLOUDNESSの進化は、どんなに時が経ってもその楽曲の特色は色あせることはない。